うつ病のチラ裏

思った事を吐き出します

ひょっとして

正義であろうと、正しくあろうと、意識的、無意識的に思っている事が、苦しさの原因かもしれない。この正しさとは、この時代の規範の集合体で、常識と言われる最大公約に過ぎない。ある意味、借物や洗脳である。

自分に対する行動なら、これらに従っても心との摩擦は少ない。しかし、自分の命より大切な人への行動となると、そうは行かない。その人の幸福のための行動が、常識や正しさから外れる場合に心の摩擦が発生し、苦しさを生んでいるのでは無いのだろうか。少し考えれば、常識や正しいとされる行為が、万人の幸福とイコールであるなど、論理的にあり得ないと分かるはずである。

この認識の元、常識や正しさを切り離し、真摯にその人の事を考え、行動すべきだ。よく考えれば、誰かが考えた、誰かの為の様式を自分より大切な(つまりこの宇宙で最も価値がある)存在に当てはめる事は、とてもおぞましい行為であると気付く。

この思索が出来たのは斉藤恵さんの為だ。誰かを本当に愛したのは初めてかもしれない。何故なら愛する事の意味を真剣に考え、その本質を目指したのは初めてであるから。きっと斉藤さんを知らなければ、好きと愛の違いもあやふやなまま一生を終えていただろう。これからも考え続けるだろう。願わくば、思索の果てに奇跡がありますように。